
一部局に戻そうとする動きが1990年代に入ってから2件あり、一件は中止、一件は実現した。オークランド港では、ウォーターフロントプロジェクトの失敗から400万ドルの損失をだしたことなど経営の失敗が指摘され、オークランド市長から、ポートオーソリティを市の通常の部局とする提案がなされたが、港湾関係者、船会社等から、サービスの質の低下を招くおそれが高いとして反対され、部局化は実現しなかった。
エパーグレイデス港は、1927年に設立され港湾行政区を持つポートオーソリティであったが、1992年フロリダ州ブロワード郡の住民投票により、郡の直接管理に移されることとなり、1994年、郡の一部局に戻った。これは、ポートオーソリティの財政放漫と浪費が指摘され、ポートオーソリティの自治権を縮小することが選ばれたものである。7人の港湾コミッショナーも廃止され、郡の全体を管轄するコミッショナーの指揮下に入った。
マサチューセッツ港では、1992年、ポートオーソリティ、ターンパイクオーソリティ、及び赤字のマサチューセッツベイ交通公社を合併して、マサチューセッツ複合一環輸送公社を設立する構想がだされたが、港湾の経営が成り立たなくなるとの反対で実現しなかった。
民営化
公共の所有する港湾施設を、民間の所有に移すという意味での民営化であれば、米国の場合1900年代初頭に戻ることとなるが、この狭義の意味での民営化は進んでいない。マスポート(マサチューセッツ州)やロサンジェルス港で施設の民間売却を含む民営化が検討されたが、当初、連邦の「連邦政府の資金の投入された施設の民間への売却は、連邦の損失につながる」との方針から、中止された。その後、連邦の方針が変わり、「連邦の資金の投入されたインフラ施設であっても、民営化のためであれば、その売却に伴う連邦の請求権を放棄する。」との方針が示された(プッシュ政権)。
しかし、米国の港湾では、狭義の意味での民営化は進んでおらず、運営を民間企業に委託する、民間の経営手法を導入する、施設をリースするというような広義の意味での民営化は、いろいろな形で進行している。
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